インサイド・ヒーローズ
vol.6
450年の伝統を、その先へ
ご来場いただくみなさまへ
GREEN×EXPO 2027を訪れるみなさんの中には、和紙の里「西嶋」で作られたシードペーパー®を手にする方もいらっしゃるでしょう。
ほんの一枚の紙ですが、水を与えていると、それに応えるかのように小さな芽がいっせいに顔を出します。光を求めて同じ方向へ傾く健気な姿は、たまらなく愛おしいものです。
一人でも多くの方に、この感動を味わっていただきたい――そんな想いを込めて、一枚一枚漉き上げてまいります。
西嶋和紙が紡ぐ、再生の軌跡
―西嶋和紙の歴史と特徴について教えてください。
笠井:
西嶋は地理的に農業には適さず、かつてはとても貧しい村でした。そこへ、先人・望月清兵衛が伊豆の修善寺で学んだ紙漉きの製法を持ち帰ります。この地に伝わった三椏由来の光沢のある紙は、当時の国主・武田信玄をも魅了。清兵衛が役人に任命されてからは、和紙作りが地域を支える産業として発展していきました。

しかし、西嶋和紙は第二次世界大戦を境に大きな転換期を迎えます。海外からの紙の輸入が滞ると、先代の職人たちは書家たちの需要に応えるため、画仙紙と呼ばれる大きな書道用紙作りに挑みました。目指したのは、美しい「にじみ」の表現です。試行錯誤の末にたどり着いたのが、油分を十分に取り除いた古紙を主原料とする独自の製法でした。そこから生まれた柔らかく筆なじみのよい書道用紙は、今も西嶋を支える主軸となっています。

―この書道用紙作りにおいて、お父様は大きなイノベーションを起こされたそうですね。
笠井:
何枚も紙を漉くうちに、漉き船の中の原料濃度は次第に薄くなっていきます。高い生産効率と紙質の均一性が同時に求められる手漉きの現場では、それが大きな課題でした。そこで父が考案したのが、足元のペダルを踏むと前方の扉から適量の原料が流れ込む「セイコー式簡易手すき装置」です。船内の濃度を常に一定に保てるため、職人が一枚一枚、納得のいく仕上がりで漉き上げることが可能になりました。

特許取得後はこれを地元の仲間たちへ無償で公開し、今では海を越えて広く普及しています。実際に中国の産地を訪れた際には、職人から「笠井さんのお父さんのおかげで、私たちはこうして紙を漉くことができています」と、直接お礼の言葉をいただきました。特許料としての収入にはつながりませんでしたが、父の発明がめぐりめぐって世界のものづくりを支えているという事実は、とても誇らしいですね。
―シードペーパー®を手がけるようになったのは、どのような経緯からだったのでしょうか。
笠井:
家業を継いだ当初は非常に忙しく、書道用紙の生産だけで十分にやっていけるという手応えがありました。しかし、時代の変化とともにその需要は徐々に陰りを見せるように。産地の衰退に強い危機感を抱いた私は、それまでの常識にとらわれず、和紙の可能性を広げる試作を繰り返してきました。
そんなある日、有限会社スープの野口さんから「種を入れた紙を作れませんか」とお電話をいただいたのです。オフィス古紙を和紙としてよみがえらせ、花を咲かせる――彼女が思い描くビジョンに深く感銘を受け、「ぜひお手伝いさせてください」と胸を熱くしたことを覚えています。

そこから二人三脚でいくつもの壁を乗り越え、長年培ってきた手の感覚を頼りに製法を確立してきました。そうして完成したシードペーパー®がGREEN×EXPO 2027という大舞台へとつながったことは、職人としてこの上ない喜びです。
有限会社山十製紙 代表取締役
笠井伸二
1956年山梨県身延町西嶋生まれ。大学卒業後、東京・神田の紙問屋に勤務。父親のけがを機に故郷へ戻り、13代目として和紙職人の道へ進む。家業の法人化を経て、1997年社長に就任。2009年同社が経済産業省「元気なモノ作り中小企業300社」に選定。2017年自身も「やまなしの名工」に選出。西嶋和紙の伝統を受け継ぎながら、時代に寄り添う新しい和紙のかたちを日々模索している。